サファリパーク的緊張感

昨日、近所のカフェへ夕食を食べに行った。運悪く半貸切状態になっていて、十数人の酔った大人たちが大声で話していて落ち着けなかった。大人たち......? 私も大人か? いやいや。

酔った大人たちの息子であろう小学生二人が、親と離れた場所で騒いでいた。それにものすごい嫌悪感を感じた。子どもが騒いでいることに対するモラル的嫌悪感ではない。「小学生の男の子」そのものに対する生理的嫌悪感だ。特に理由なく、気持ち悪っ、きたなっ、と思い、そう思ってしまったことに対する罪悪感と、近づかれたらどうしようという緊張でドキドキしていた。人間ではなく、なまあたたかい無毛の野生動物として子どもを見てしまっていた。

この感覚は初めてではない。

家庭教師先の高校生は平気だった。親や先生など他の監視者がいてくれる状況も、大丈夫。でもウズベキスタン日本語学校で教科書を見せた男の子、アルバイト先のキッズスペースで一緒に遊んだ男の子、電車で隣の座席になった男の子はだめだった。とにかく小学生〜中学生くらいの、解き放たれている男の子が嫌だ。理由がわからなさすぎてどうしようもないのだが、嫌だ。

小学生のとき繰り返し聞かされていた、「あなたが娘で本当に良かった」という母親の言葉を思い出す。なんで? 「だって男なんてキモいし汚いし嫌じゃん。」子どもでも?「うん、子どもでも嫌。捨てると思う。」そうなんだあ、じゃあ私、女の子でよかったー。

私は母親のようなギャンブルは絶対にしない。