影を剥がす

梅雨ってもう明けてるらしい。道理で。梅雨にしては世界のコントラストが尋常じゃなくない?と思っていた。影が濃すぎて海苔みたいになっているアスファルトを見て、影を剥がす想像をした。厳密には影を剥がすという発想が昔からあって、影を剥がす村について考えた記憶も蓄積されているうえで、すでに(非)存在している風景を思い出していた。

影を剥がす村はいつも晴れている。そして、食べ物以外の物品のほとんどが影でできている。剥がした影から服を裁断し、髪留めを作り、皿を作り、重ねてぶ厚くして家具を作り、さらに丸めて柱を作り、家を建て、水に溶かして壁を塗る。影を加工するのは大人たちの仕事だ。影を集めるのは子どもたちの仕事。影はその元となるものによって、色合いも質感も強度も違う。剥がすと煤が匂う。魚影はとるのがもっとも難しいため珍重されている。影が音を吸いこんでしまうので、村はいつも静かで、人々は頬がくっつくくらいに近づいて話さなくてはならない。

ここまで思い出して気づいたけど、友人に勧められて読んだ「西瓜糖の日々」に似てる。似てるっていうか、対になる。「西瓜糖の日々」の世界には大きな西瓜糖工場があって、あらゆるものが西瓜糖で作られている。カラーとモノクロ、天使と悪魔、西瓜糖の町と影の村。