性質と手段

表現とは、ある概念に対して最適な手段を選んで出力することだ、という認識でいた。例えば無数の色が湧く泉があったとして、湧いてきた色水を見て、この色は凍らせようとか花に吸わせようとか雲を作ろうといったように、適した手段を与えるみたいな(説明す…

『奇病庭園』

特に好きな作家は、現世の意味を徹底排除するがゆえの平等さを以て、モチーフを扱う。だからそういう作品からある場面を切り取って残酷、と片づけてしまうのは違う。例えば何かを無意識に捨てるとき、その対象がタバコの吸殻だろうが死んだ虫だろうが生きた…

快楽主義

他者の作品、自然や光、整えられた空間、動きのある瞬間、飛躍した言葉によって、イメージの世界に新しい何かが現れるとき、そしてそれを現実世界に具現化する術を思い描けたときの、あの高揚感と全能感のためだけに生きている。手を動かして何かを作るのも…

冬の備忘録

【2/28】影を描くことは同時に輪郭を描くことであり、ある箇所を塗らないことは光を描き出すことであり、線は物体の流れを反映するが物体自体でなく、背景から物体を浮かび上がらせる。何かを描写することは常に、何に注目するかを浮かび上がらせることであ…

音楽室

音楽室で、友人がピアノを弾いていた。グランドピアノの開いた屋根から何らかの粒子の集まりが、プリズムで分解された光線のように束になってあふれ続け、磨かれた床の上に積もっていった。色とりどりのそれは折り重なった幅広のリボンにも見えた。奥の部屋…

ガラス

赤と青の鉱物は極寒などものともせず増殖する。気温が氷点を上回る頃には、硬骨魚の跡地が柘榴石に、軟骨魚の跡地がロンドンブルートパーズによって埋めつくされ、墓は群れをなして泳ぎだしそうなほど鮮やかに浮かび上がっていた。怒りのチェス盤はとっくに…

ガラス

エナメルホワイトの卵殻に水がかかって、下半分のぽってりした部分に罅が入った。網目状の隙間から、蜂蜜みたいな色をした液体が見えている。月の重力に慣れていた卵の中身は地球において引きこもることを許されず、ぱらぱらと殻とともに漏れ出てしまう。細…

新生活

生まれて初めて、逆さ雨と戻り雨を経験した。始めはゆっくりと、しかし加速しながら昇っていく逆さ雨は万物を溶かし、地球全域の海抜をゼロメートルにした。もちろん私も皆と粘液になって飛翔して、いい感じのところでもったり留まった。逆さ雨に打たれたら…

みんな眠い

「睡魔」という言葉の責任転嫁っぷりはすごい。眠いのは寝不足のせいだし、寝不足なのは不規則な生活のせいだし、不規則な生活なのは自己管理能力がないせいなのに、「睡魔が」と言っておけば被害者面ができる。万能仮想敵。 そうして、眠いけど自分の非を認…

キャプション

「幅約12m、高さ約5mの陶板は、陶磁器産業で栄えた幻の村から発掘されたものです。元は重さ1000tを超えていた巨塊が、調査のため板状に切断された後、本館に寄贈されました。表面の細工があまりに精緻であることから、人の手で描かれた巨大壁画と誤解されて…

棺を提げている人は、私の世代だとあまりいない。犬や猫の棺を提げている人はたまにいるが、大体は硬化も縮みも進んでいなくて生ものっぽさがある。狩猟の獲物みたいでどうかと思う。私の棺は違う。私のと言っても小さい頃にそうと知らずに拾ったやつで、本…

息を吸え

息は舌先でくるくる巻き取って余さず飲み込む。人々は吸わずに吐いてばかりいるから死ぬ。吐く息は吸うためのものだったのに、ぬらぬらした器官によって転がされ変形させられ音を吹き込まれた挙句意味まで背負わされ、大変な質量になってしまった。皆暇すぎ…

発光

友達に、指輪切れかけてない? と指摘されてからずっと右人差し指が気になっている。今見ると言うほどでもない気がするんだけど、先週買ったばかりだという友達のと並べたときは結構な差に見えた。友達の方が断然、光の量も暖かい色味もきらめきも強かった。…

発光

全身を包む肉が煌煌と輝き、皮膚が行燈に張った和紙の役割を果たしているので、列をなした私たちはかなり幻想的だ。存在を自覚してから、ずっと暗い道を歩かされている。暇で暇で、前後の数人とはすぐ仲良くなった。なんのために歩いているのかわからないか…

水切り

友達数人でキャンプに行った。余裕を持って早く出て、昼過ぎにキャンプ場に着いた。テントを張って荷物を入れてから、散策に行こうと提案した。皆、寒いから嫌、この辺何もないよ、しばらく休憩する、と乗り気ではなさそうだった。一人だけ行きたいと言って…

仮宿

穏やかだった同居人がだんだんラリってきて、交替が近いなと思っていた翌朝には目が虚ろになっていた。すでに別人なのだった。自分の呼び名と、同居しているという事実だけ伝えて出かけた。最近職場で立て続けに三人も交替したせいで、各々の仕事内容を通達…

凍る

近年稀に見る寒さで凍色警報が発令された。予報では、今年の最低色は白および黒とのことだった。世紀末みたいな騒ぎになった。昔から色相のない色は凍らないと言われていたから、これまでの凍色で溶けたものは全部白で作り直していて(黒は高価なのだ)、街…

目が鳴る

横たわって目を閉じてしばらくすると、頭の底に落ちた目玉がころころ涼やかに鳴って安心する。皆起きているときがON、寝ているときがOFFと錯覚しているけど、私たちは人形なので本当は逆だ。無作為な音と映像を眺めながらかたかた寝返りをうつと、目玉二つが…

遺骨

母が死んだ。俗に言う唐草病だった。3年かけてゆっくりゆっくり進行して、動けなくなって入院してからも1年経っていた。 唐草病はあまり知られていないのと、骨を侵すということで、骨粗鬆症に似た病気だとよく誤解される。実は全然違う。母は生前一度も骨折…

パズル禍

家に友人を呼んでパズルをしていて、今もしている。初めは1000pcsパズルだったはずが、ピース数がどんどん増えてアパート全体がパズルと化し、半日の予定が一週間ほど延長している。外には怖くて出ていない。 ピース増えてね? と気づいたのはパズルを始めて…

貝の死骸

去年会ったとき、実は赤ちゃんができたの、とはにかみながら報告してくれた先輩から、「シャコ入りします」と連絡が来た。赤ちゃんは死んでしまったのだ。 オオシャコガイの死骸が水子を救うと判明したのは、貝の大量斃死をきっかけにその生態についての研究…

寄生される石

蛆石の季節がやってきた。狙い目は石垣だ。丸い石を探すなら川原と思われがちだし、もちろん川原にも蛆石はあるんだけど、川は撒かれた胞液を洗い流してしまうから群生しづらい。一つ見つけても次が近くにあるとは限らず、数を集めるのに苦労する。その点石…

蛸のぬいぐるみ

IKEAで蛸のぬいぐるみを買った。一抱えくらいの大きさで、全体的なフォルムはリアルだけど顔や足はいい具合にデフォルメされていて、かわいい。寝るとき抱きたいというよりは見守っていてほしかったので、枕の横に座らせた。布団に入って蛸の方を向いて足を…

ドラム

新宿で買い物を済ませ帰る途中、バスタ前方面から群衆の雄叫びのような騒ぎが聞こえた。近づいていくうちに叫びは合唱に代わり、合唱の奥に激しいドラムが混ざり、路上ライブだと知れた。広い歩道を埋め尽くした観客は、曲に合わせ一糸乱れぬ歌と踊りを披露…

「閉鎖された坑道が何故広さを増していくかというと。それは鉱夫がいなくなったから、という我々の感情的錯覚ではなくて、事実、物理的に広くなってるんですよ。知っての通り坑道というのは、果てしない労働と暗闇によって人々の時間感覚を狂わせ、身体を否…

風船葛

精神が限界を迎えたので、会社近くの花屋に寄った。産毛でふかふかした淡い花があればいいなと思っていて、実際あったんだけど、真っ先に目を惹いたのは風船葛の鉢だった。風船葛といっても置いていたのはあの緑のやつじゃなくて、籠盛りの果物みたいにカラ…

湯呑

朝7時、インターホンの音で起こされた。非常識な宅配だと苛立ちながらドアを開けたら、やけに大きな箱を提げた友人がいて何事かと思った。何ということもない、きれいな魚が釣れたから持ってきたと言う。じゃーん、と開かれたクーラーボックスには、水彩絵の…

孔雀の目

ベランダに干してたシャツが飛ばされた。下ろしたてなのに最悪だ。慌てて外へ出て探して、見つからないのでアパートの裏まで回って、そこで孔雀と子どもを見つけた。 孔雀は頸と両脚に釣り糸を巻きつけられ、コンクリートの破れ目から飛び出した釘に繋がれて…

えのぐ

完成間際の絵の上を登っていたら、絵の具の「のぐ」の部分がどしゃりと背中に雪崩れ、くずれかかった肩甲骨もろとも画面にへばりついた。挙げ句「のぐ」はその音韻を全うすべく、巨大な人差し指を招いて私ごと潰させた。ひどすぎる。そっちがその気ならこっ…

秒針

貫入時計は、窯出しされた陶器の貫入音を転送して時を進める。そしてこの腕時計が流通し始めて、陶器は貫入を見せなくなった。秒針に奪われたからだ! 貫入の入った古陶の価値が跳ね上がり、美術品として扱われるようになった背景には間違いなく、こいつの存…