ガラス

エナメルホワイトの卵殻に水がかかって、下半分のぽってりした部分に罅が入った。網目状の隙間から、蜂蜜みたいな色をした液体が見えている。月の重力に慣れていた卵の中身は地球において引きこもることを許されず、ぱらぱらと殻とともに漏れ出てしまう。細かな破片は着地した途端に溶けて角を丸くした。液体は破片の絨毯が編み出した迷路を埋めて殻と融合し、一枚の薄板になり、板は空を反射して青く波打つチェス盤になった。大海原の水面に酷似したチェス盤の上では、駒である半透明の魚やクジラやくらげや鮫やクリオネウツボタツノオトシゴやナマコ、ウミウシ、エビ、カニ、構造色をもつ貝類が跳ねたり浮かんだりしていたが彼らは基本的に姿を見せない上、升目が風が吹くたび変わり続けるので一向にゲームが進まない。ではチェス盤の裏で何が起こっているかというと、海洋生物たちが己の形状を世に残そうと身体を板にこすりつけているのである。当然その身は削れていき、一番硬い骨の部分が深く刻まれることとなる。勝手に死屍累々の光景を描かれたチェス盤は怒って裏返り、陽のもとに彼らの彫刻を晒してやった。生物たちは一瞬にして乾き、誰も完全な姿を盤に彫り込めないまま、中途半端に残った骨や肉をミイラにした。ひどい腐臭にチェス盤も嫌になってきた(そんな事態は想定していなかった)ので、どうにかするよう空にお祈りした。猛烈な雨が降ってきて死骸を洗い流し、チェス盤を水たまりに沈めた。最後の一滴が水たまりの上に落ちた瞬間氷河期が訪れ、飛沫は花びらみたいに円形に散ったまま凍りついた。