日常

やけに仕事がバタついていた。仕事がバタつくのはスリリングで嫌いじゃない。例えるなら、リズムゲームの難易度がどんどん上がっていくような感覚。立て続けに降ってくる白いノーツを規則正しく打ち音楽そのものになる、あの没入感が仕事にもある。一段落ついたときは、リザルト画面を眺めるような爽やかな達成感と安堵を感じる。そしてどれだけ仕事が忙しくても、ガラスのことは考えている。降ってくる着想は高ポイントの金ノーツのように、仕事同様の処理対象として認識される。急いで「肌:白/黒」「←透明 ↓不透明」「巻き貝」など、図とともにふせんに走り書きし、メールチェックに戻る。ここでメモせず頭の中に置いたままにしておくと、永遠に金ノーツが降り続けて仕事が手につかなくなる。

落ち着いてからマッサージされに行くと、「目と頭をよく使ってますね」と言われた。「凝ってますか?」「凝ってるというより、上の方に熱がこもってカッカしています」 人間、そんな一昔前のパソコンみたいな仕様なの? 熱がこもる、という表現がマッサージ師独特の感覚で、言葉通りの意味ではないのかもしれないけど。

帰ると猫が私を観察していた。猫ってなんでこんなにまじめくさって存在しているんだろう。まじめくさってというか、世界にゆるぎない信頼をおいているというか。何もかも当然ですという顔をしている。こちらが意識するほどそんな顔をしつづけられるのはすごい。でも猫含むたいていの動物は基本、おしなべて無表情なのだから、猫だけを特別に感じるのはふしぎだ。この幼い顔立ちと無表情のギャップにおかしみが生じているんだろうか。ウケながら撫で回すと露骨に嫌そうな顔をされ、意志の非存在を疑った。