『おしゃべりな脳の研究』①

読んでいます。まだ途中だけど、個人的な内的現象が詳らかにされていくようで面白い。例えば知人の書く文章について、

『......読むとき引き起こされる内言は、ときに自分自身の声であり、自身の訛りの特徴を備えている。しかし、著者を知っている場合、その人の声が内言で聞こえるときもある。』

ああ確かに......いや、ほんとにそうか? と思い、友人のブログとLINEを読み返してみた。結果、友人によって、また同じ友人でも内容によって、聞こえる声の質が変わると気づいた。

まずブログの場合、現実的な話は友人の声に近く、観念的な話・一読して理解しづらい話は自分の内言の声で聞こえた。「友人の声に近く」というのは、友人の肉声でなく、友人自身が聞いている(と私が想像する)内言の声。つまり自身のブログを読み返す友人に同化する感覚で読んでいる。敬体は高く透き通った声で、ゆっくり喋っていた。口語体(〜じゃん、〜だよ、〜では?)は、友人の肉声にかなり近く聞こえた。口語体の中でも「!」の力は強くて、これを認識した瞬間に記憶の友人の声が再生され、映像の中に顔も浮かんだ。

LINEの場合、(文面が)特徴的な口調の、あるいは(肉声が)特徴的な声をしている数人のLINEはその人の声そのもので、大多数は自分の内言の声で聞こえた。「ついたよ」とか「店探すね」とか、数文字の情報は何も聞こえなかった(スタンプみたいに、ひとまとまりの意味をもつ画像として直接認識される)。男性のLINEも基本自分の内言の声で聞こえたが、俺/僕で始まる文章は男性の声で聞こえた。俺と僕の声もまた違ったが、それはその人の声とは関係なく、すでに存在している「俺」の声/「僕」の声のプリセットが呼び出されて再生される感じだった。

しかし内言を観察する目的で読み返したために上記の結果になったのかもしれず、必ずしもこう、とは言えない。例えば忙しいときにぱっと確認するLINEは音声を伴っていない。それに今回は、初読に構築した映像があるから聴覚に集中できただけかもしれない。映像化しながら読んでいる間も、声質が判別できるほどくっきり聞こえているかというと......うーん。集中度による。でも「!」だけは常に鮮やかだ。友人たちは1フリックで、高らかに叫んでいる。