虚構存在への責任

窯出ししたガラスがなかなかの出来で嬉しくて、研磨したり次の作品の道具を見繕ったり、ずっとガラスのことを考えている。あれを作りたい、こうしたらできるかなと、浮かんだものを現実に落としこんでいく時間が一番楽しい。でもほとんどの作品は形にならないし、作ってる間に飽きるので完成までにものすごく時間がかかる。どうにかしたいな。今回窯出ししたのなんて作り始めたの5月だし。

物語は放置され続けている。ガラスは別に作っても作らなくてもよくて、純粋に作りたいとき作って飽きたら中断するだけだけど、物語に対しては常にうっすらとした責任感があり、それが筆を重くしている。なんでだろう。前者が大量に並んだアイディアからなんとなく商品を手にとるように作り始められる一方、後者は並んでいるものすべてが生きている感覚があるというか。生まれてしまったのに檻に入れて世話もせず、見ないふりをしているような罪悪感がある。でも生きている以上は完璧に生かしてやりたいし、死んでいくのを見るのは耐えられない。書いたら死んでいく気がするときには書けない。そして知らない物語に身を預けて目をそらす。

帰省したら書きかけのWordファイルたちを並べて生存確認しよう。世界が死んでいたら死を認めて削除しよう。そして何が生きているのか見極めよう。全ファイル死骸かもしれないけど。そしたらまた書けばいい。