ざくざく

少しでも疲れを感じたり、嫌なことが頭をよぎったりした瞬間に、胸から腹のあたりを出刃包丁でざくざく刺す想像をする。音と感触は大玉のレタスを真っ二つに切るときのそれに一番近い。近いけど、私の身体はレタスより大きくて密度があるから、実際にレタスを切る音よりは低い。レタスにはない肋骨に阻まれるので掌に重い抵抗が生じる。でも出刃包丁は硬く鋭く、刺す私の力も強いから、刃は難なく身体を貫く。その簡単さと、手と耳に響く丁度よい感覚が快くて何度も刺す。ASMRを聞くときの快さにも似ている。しばらく刺しているうちに落ち着くが、必ずどこかに虚しさが残る。(別の想像で、透明なナイフでスーッと胸を貫く、というのもあるんだけど、出刃包丁とはまったく違う意味を持っている。透明なナイフには音もないし抵抗もない。ゼログラビティの爽やかインスタント自傷

これいつからやってるんだっけ、と考えていたがわからなかった。いつからどころか、直近でいつやったかも思い出せない。毎日刺している気もするし、ものすごく久々に刺した気もする。たぶん、無意識にほぼ毎日刺している。でも原点は明確にある。高校生の頃、祖父母が寝たのを確認して、暗くて寒くて静かな台所で一番大きな包丁を胸に突き当てて、ここで思いきり力を入れれば死ぬ.....と考えていた。当時は死にたいと思ってやっていたけど、本当は死ぬ気なんてさらさらなかった。むしろ生きるために、いつでも死ねることを現実味をもって確認しようとしていた。包丁を胸にあてた瞬間はものすごい動悸がするが、その姿勢で静止しているうちに大丈夫になってきて、泣いたことが翌日バレないよう目に保冷剤を当てるくらいの冷静さを取り戻せる。あの頃死なないためにしていたことに何度も縋るうち、記憶の再生が空想という儀式と化して、今の私を守るようになったのかもしれない。