自他の境界

「ほぺちゃん今日服かわいいね、デート?」「えっありがとうございます!でも違うんです〜まっすぐお家帰ります」「そうなの?彼氏とかいないの?」「それがいないんですよぉ」「あらやだ若いのに〜恋っていいものよ」「いやほんと恋したいですぅ、でもなかなか難しいんですよねぇ...〇〇さんと恋バナとかしたいです」「私もしたーい!今度飲み行こ!」「えへへ行きます!」

何が恋したいですぅ、じゃ。私はこういう会話が鬱陶しいものだと認識してはいるが、実際行うぶんにはまったくストレスを感じない。子ども欲しくなさそうな人に話を振られたら子ども苦手なんですよねと語り、子ども好きそうな人に話を振られたら子どもの愛らしさについて語る。芸能人のスキャンダルに憤っている人とともに興奮し、反ワクチン派を忌み嫌っている人とともに糾弾する(打ってないのに)。そしてすべての会話において、自分は本心で語っているつもりでいる。相手と離れてからしばらくして、なんか変なこと言ってたな?と気づく。相手の価値観と、自分に求められているキャラクターがはっきりしていればいるほど、それに応えるのは楽だ。親しくない相手だから現実味がなくて楽、というのもある。楽な代わりに顔がなめらかに動いてるのが不思議で、まつげの瞬きや皮膚の伸び縮みなどを凝視してしまう。え顔めっちゃ質感あるじゃん............

そして話を聞き逃す。