いい加減学べよ

何かを作ろうとするとき、心を許している友人以外の人には笑われるか否定されるか子ども扱いしてまともに取り合ってもらえない(〇〇ちゃんはへんなこと考えるのねぇ〜、みたいな)と思っているので、ガラス教室では極力何の相談もせず黙って作業している。陶芸部でも、頼むからこちらに意識を向けないでくれと思いながら作っていた。でも、実はそうではないのだ。そうではないと学んでいるはずなのに、そうではないことに毎度新鮮な驚きがある。

絶対笑われる、と思っているから、〇〇を作りたいんですけど...と作り方の相談をするとき、あるいは何を作るのかと聞かれて答えるとき、どうしてもヘラヘラしたり、伝わりづらいように説明を省いたりしてしまう。でも先生はものすごくまじめに私の描いたものを見て、なるほどこういうこと? と詳細な図を描き始める。私は困惑しながら「あハイそんな感じで...や、そこは違くて、もっとランダムで...」と、いつ否定されるかと身構えながら説明する。先生は私の不安をよそに、ここはこれを使ったほうがいいねとか、このやり方だとちょっとシビアだけどできなくはないねとか話してくれる。私はずっと拍子抜けしながら聞いている。

しかし冷静に考えて、先生が金払って通っている生徒の作品を嘲笑うわけがないのだ。いや別に金払ってなくても、人は人の作品を面と向かって馬鹿にしたりしない。今まで何か作って否定された記憶もないのに、なんでそう思いこんでいるのか自分でもふしぎだ。でも教室に通ううちに、これを作りたいんです、と言うことへの躊躇は薄らいできているような、どうかな、まあ薄らいでいる。先生を信頼し始めているというのもある。色んな人に作りたいものを公言していけば、世界は思っているより優しいと実感できるようになるのかもしれない。しないけど。