老婆の少女性

いわゆる「かわいいおばあちゃん」なんて滅多にいるもんじゃないと思ってたけど、自由が丘のガラス教室にたくさんいた。

全員でないにしろ、驚くほど純度の高い少女性をもった人ばかりだ。「わあーっ、なあにそれ?」「カサブランカと、おにぎり!」「きれいー!」「すてきねー!」と、空想上の女学園みたいな会話が突発的に発生している。目の前の人の作品をほめるのにお世辞っぽさが微塵もなくて、美しい空や道端の花に感嘆の声をあげるように、「きれいー!」と複数人で言っている。憂き世においてなんとまあ珍かなる光景。しかしこの珍かさはその場にいないと伝わりづらい、例えるならなんだろう、いじめられないちいかわ......? ちいかわがいじめられるのって公式じゃないんだっけ? とにかくちいかわが具現化している。懐いてきた野良猫が可愛かった話や、病院で嫌な目にあわされた話や、友達の家によばれて楽しかった話などを、子が親に報告するような口調で話していて、聞いているこちらがそわそわしてくる。話すときに一切の感情の加工がされない、他者にどう思われるかなんて思い浮かべもしない、完ぺきに相手を信頼している、動物的な素直さ(もちろん、そう見えるというだけですが)。人間の魂って実はものすごく単純で、個性なんて社会によってまとわされているだけで、老いることでその核が露出してくるんじゃないかとすら思う。それともこの人たちは80年間ずっとこんな感じなんだろうか。白くて、無垢で、純粋な老婆のそれは、かわいいと評されても少女のような被消費性を感じさせないぶん、いっそう自由に見える。