知らない思考

錯文が読みたいし書きたい......と思いながら、無自覚な思考の流れをとらえて言語化することの不可能さについて考えていた。思考には自覚的に進めるものと無自覚に流れるものと二つある。後者は自覚した瞬間に流れがとまり、映像も音声も直前の記憶も消えるから、流れを再開することも、自覚的な思考に切り替えて進めることもできない。言葉を与えるために、映像を直視し音声を拾いあげる、次の瞬間には空白だけが残っている。頭が静かになり、語るべきことは何もなくなってしまう。本当に、なんのよりどころもない。それらしくなぞって言語化することはできても(なぞるという行為はすでに自覚された思考だ)、忠実にスケッチすることはできない。そもそも無自覚な思考は嫌になるくらいしょうもなくて差別的で被害妄想じみているので、自覚しようとすること自体に苦痛を伴う。

でも出力したい。これは夢を出力したいと思うのに似ている。自分の頭が何にどう反応していたのか知りたいし、思い出して分析したいし、読んで安心したい。空也上人立像みたいにもろもろもろ〜っと具現化して出てきてほしいよ、思考。とりあえず金原ひとみを借りよう。