水切り

友達数人でキャンプに行った。余裕を持って早く出て、昼過ぎにキャンプ場に着いた。テントを張って荷物を入れてから、散策に行こうと提案した。皆、寒いから嫌、この辺何もないよ、しばらく休憩する、と乗り気ではなさそうだった。一人だけ行きたいと言ってくれたので、二人でテントを出た。しかし周辺には本当に何もなかった。地図も看板もないので目的地も決められず、共通の話題もなく、黙々と歩いた。

寒いし気まずいし申し訳ないし、道がわからなくなる前に引き返して帰ろうかと思い始めていたとき、突然目の前が開けて、小さな湖が現れた。湖と言うには大袈裟すぎるかも、大きい水たまりくらい。友達は足元の石を拾って、これ得意なんだよね、と水切りを始めた。石は五回跳ねて水たまりの真ん中あたりで沈んだ。私はせいぜい二回くらいしか跳ねないので、コツを教えてもらいながら遊んだ。石の選び方、姿勢、石を離すタイミング、回転のかけ方、目線の置き方など、やってみるとかなり繊細で奥が深い遊びだった。安定して三回跳ねるようになってきた頃、友達の投げた石に何かがくっついてくるのが見えた。あれ何、虫? と言い合いながら投げるたび、何かは輪郭をくっきりとさせ、ついに完ぺきな人型を表した。小さなバレリーナだった。バレリーナは水切りでできた波紋を足場にして、軽やかに水面を跳ねていた。石が沈むと沈んだ位置に片方のつま先を置いて静止し、次の石を投げると前の位置から姿を消して、新しい石とともに跳ねる。もう何度か石を投げて、その肌のきめまではっきり捉えられるようになったとき、友達は靴を脱いで水たまりに入っていった。バレリーナは妖精みたいに可愛らしかったから、捕まえてきてくれたらいいなと思って私も止めなかった。水たまりは浅く、真ん中まで入っても膝までしか濡れないようだった。今にも動きだしそうな姿勢で固まっているそれを捕まえようとした瞬間、友達はずん、と肩まで水に浸かり、あっと思ったときには消えていた。獲物はポーズを決めたまま微動だにしない。

セイレーンみたいだと思いながら少し考えて、石を対岸まで飛ばせれば、水たまりに引きずりこまれることなくあれを捕まえられるのでは、とひらめいた。それから日が暮れるまで水切りをした。でも五回跳ねたのが最高記録で、対岸までなんて到底無理だった。

仮宿

穏やかだった同居人がだんだんラリってきて、交替が近いなと思っていた翌朝には目が虚ろになっていた。すでに別人なのだった。自分の呼び名と、同居しているという事実だけ伝えて出かけた。最近職場で立て続けに三人も交替したせいで、各々の仕事内容を通達するという仕事らしい仕事が発生している。もっともその三人は、門番を任されている盲目の老体と、歌うたいを務める聾唖者、舌のない毒見係で、本来の役を果たせる者はいない。永遠の自我には無意味な肩書きが必要だから、皆律儀に出勤してくる。

三人のうち毒見係はもう働きはじめていて、門番と歌い女はようやく肉に馴染んできたところだった。今回の門番は陽気な人だった。会話できるようになるなり「あなたはあの......200年前の!覚えてますか!?」とおどけていて、交替ジョークは全国共通なんだなと思った。本当に会っていたとしてもわかるわけない。歌い女は給湯室にいた。曲を収めたレコーダーを渡そうと近づいて、どう話しかければびっくりさせないか考えながら(前の歌い女は急に肩を叩いても平気な人だった)手元を覗くと、缶詰のココア粉と緑茶の茶葉、砂糖壺、ミルクポットが並んでいてあっと思った。緑茶ココアを作る恋人が、いつだったかいたような。そんな飲みもの聞いたことなくて驚いたのと、手間がかかる割に美味しくなかったのが印象的だった。もしかしてと思ったけど確認するすべがない。歌い女は覗かれているのに気づかず、淡々と緑茶ココアを淹れていた。

凍る

近年稀に見る寒さで凍色警報が発令された。予報では、今年の最低色は白および黒とのことだった。世紀末みたいな騒ぎになった。昔から色相のない色は凍らないと言われていたから、これまでの凍色で溶けたものは全部白で作り直していて(黒は高価なのだ)、街は白くないところを探すのが困難なくらい白くなっていた。当然、白が全部溶けたら何色が出てくるのか、つまり、最も強い色とは何なのか? という話題でもちきりになった。過去の気象データをどれだけ遡っても、溶けたことのない色なんて白と黒以外なかった。一番説得力があったのは、寒波が届かず凍らなかった地下がむきだしになる、という推測だったけど、白いコンクリートの下が何色かなんて誰も知らない。

皆ダウンを重ね着してストーブを焚き、なんとか寒さをやりすごした。しかし半分以上凍った家は翌日には溶け始め、不気味な音を立てて傾いていた。私たちはまだ白い広場に避難し、地下とやらが出てくるのをじっと待った。

目が鳴る

横たわって目を閉じてしばらくすると、頭の底に落ちた目玉がころころ涼やかに鳴って安心する。皆起きているときがON、寝ているときがOFFと錯覚しているけど、私たちは人形なので本当は逆だ。無作為な音と映像を眺めながらかたかた寝返りをうつと、目玉二つが傾斜を転がり落ちてぶつかり合い、摩擦音が濁る。その、アスファルトの上で足を引きずるような音も安心する。入眠前の走馬灯が途絶えたあとは人間の夢を見る。夢も走馬灯と同様に脈絡がない。脈絡がないのは頭蓋内を駆け回る目玉が記憶を泡立てるからなんだよ、という声が、受け売り特有の断定口調で再生される。ああいうのを鵜呑みにできる人は、そもそも人形がやわらかい人間として振る舞っている事態がめちゃくちゃだってことを忘れていると思う。意味のわからない秩序は無秩序より歪んでいる。

アラームで起きて、まだほぐれていない目で時計を見て一気に覚醒した。完全に遅刻だ。がばっと上体を跳ね上げた勢いで芯を持った目玉が後頭部に叩きつけられ、鐘のように重く鳴った。瞼を開けているのに眼窩が空くのは初めてだった。頭蓋の残響に合わせ、目の前の景色がばちばちと切り替わっていた。はっきりと意識を持ったままそれを見るのも初めてなので、つい乱舞する映像に意味を与えようとして、すみやかに疲れた。でも目が戻らない限り人間にはならないから大丈夫。じきに慣れて、世界は美しくなっていくだろう。

遺骨

母が死んだ。俗に言う唐草病だった。3年かけてゆっくりゆっくり進行して、動けなくなって入院してからも1年経っていた。

唐草病はあまり知られていないのと、骨を侵すということで、骨粗鬆症に似た病気だとよく誤解される。実は全然違う。母は生前一度も骨折をしなかったし、骨密度は基準値を大きく超え、骨質検査でも理想的な数値を出していた。動けなくなった理由は、病が進行して骨の末端まで鋭利な蔦となったせいで、関節と肉が破壊されたことだった。最期は全身が痛々しく腫れていた。

母の遺骨は、話に聞いて想像していた何倍も美しかった。異常に硬化した骨細工は焼いても欠け一つなく、磁器のように白く輝いていた。大腿骨は宮殿の柱、肩甲骨は総刺繍の絹織物、指の骨は螺鈿細工、頭蓋骨は卵彫刻に似ていながら、どれも人の手では作り得ない緻密さで、実在が疑わしいほどだった。発症後かなり長く保ったから骨の凝縮が極まっていて、文様がより硬く繊細に仕上がったのだという。ところで唐草病で死んだ者の骨上げをした者は、その美しさに惹かれるあまり自身も唐草病を発症してしまうという迷信がある。なんて不謹慎なと思っていたけど、今となっては、あれが迷信でなく本当だったらと願わざるを得ない。とりあえず両の人差し指はピアスに仕立てようと決めて、Amazonでピアッサーを注文した。

パズル禍

家に友人を呼んでパズルをしていて、今もしている。初めは1000pcsパズルだったはずが、ピース数がどんどん増えてアパート全体がパズルと化し、半日の予定が一週間ほど延長している。外には怖くて出ていない。

ピース増えてね? と気づいたのはパズルを始めてから10時間ほど経った頃だった。葛飾北斎富嶽三十六景コレクションパズルの背景を作っていたつもりが、いつの間にか部屋の畳を敷きつめていたのだった。見回すと六畳分の畳と畳に接しているものが全て均等に罅割れていて、驚いて立ち上がったらその振動でぜんぶ崩れた。崩れたあとには真っ白な台紙が、非現実的な曲線を残したまま凸凹していた。困った。このままではとても住めない。友人に泊まり込みで手伝ってほしいとお願いして(友人は私より先にこの状況に気づいていたが、特に何も言わず畳パズルに勤しんでいた)、部屋の復元に取りかかった。居住可否という切実な問題に迫られていても、立体パズルは楽しかった。買うと高いのだ。しばらくは、このボリュームのパズルいくらするかなあ、と呑気に話しながら進めていた。

気づいたら暮れたはずの空が白んでいた。テーブルの組み立てに没頭している友人にいったん寝よ、と声をかけて、しかしパズル化したベッドはまだ手をつけられていないので、押入れから客用布団を出した。幸い、布団は敷いても布団のままでいてくれた。友人が床についたのを確認して電気スイッチを押すと、消灯と同時にスイッチが外れて壁から落ち、拾おうとしゃがんだ頭にバラバラとピースが降りそそぎ、壁のピースが床のピースと混ざった。もう何も見なかったことにして眠った。その繰り返しで今に至る。

貝の死骸

去年会ったとき、実は赤ちゃんができたの、とはにかみながら報告してくれた先輩から、「シャコ入りします」と連絡が来た。赤ちゃんは死んでしまったのだ。

オオシャコガイの死骸が水子を救うと判明したのは、貝の大量斃死をきっかけにその生態についての研究が進んだからだという。死骸は確認されているだけでも3000t、年々増え続けており、シャコ入りを希望する人間より多い。らしい。調べるまで知らなかった。まさかこんな身近な人がシャコガイになるなんて思わないから。先輩へのお悔やみと子への祝福を合わせた定型文を送り、式はいつですかと聞いた。日程と一緒に招待状が送られてきたので、友人に連絡して元々入っていた予定をずらしてもらった。

式は昼の漁港で行われた。よく晴れたシャコ入り日和だった。招待されていたのは20人ほどで、世代はばらけていたが全員女性だった。船揚場に集められた私たちは互いに一言も交わさず、先輩の登場を待った。スロープに揚げられた船にオオシャコガイが鎮座し、赤くくすんだ肉から腐臭を放っていた。先輩は、よく日に焼けた漁師らしき女に連れられて現れた。女がオオシャコガイの死亡確認をする間に(誤って生きているオオシャコガイに入ってしまうと、胎児が人でなく巨大真珠として仕上がってしまう)先輩は纏っていた布を脱いだ。そして女が頷くと同時に、オオシャコガイの薄く開いた口に足からすべり込んだ。すでに死んだはずの貝は、息を吹き返したように白い身体を呑みこんだ。先輩は仰向けた顔だけ外に出して、一瞬私たちと目を合わせてくれたように思ったが、頭部はすぐ横に伸びて肉と融合してしまった。