選択しないという選択

本当にたまたま、好きな硝子会社が吹きガラスの職人見習いを募集しているのを見つけてしまい、そこは就活中にチェックしていたけど募集してなかったから諦めたところで、う〜〜〜......

当たり前だけど給料も休日もメチャメチャ減る。貧困という二文字が眼裏にちらつく。しかし技術が得られるならその価値はあるんじゃないかとか、いや力仕事で女を採ってもらえるのかとか、パワハラで悪名高いガラス業界で生きていけるのかとか、そもそも私がやりたいのは職人仕事なのかとか、考えてるうちに情緒が終わってしまった。もう何も考えたくないから履歴書送ろうかな。というか、現実的な将来について考えるのって、こんなにストレスのかかる行為だったのか。今日は友人と湯河原の物件を見ながら、中古の戸建て買ってアトリエ作ってフルリモートのとこに転職して一緒に住もうという話をしていたけど(架空の計画)、それもまあまあ現実味を帯びた話だったので疲れてしまった。数億円の豪邸を見るのは楽しいけど、手の届きそうな物件を探すのは複雑な気持ちになる。生活の基盤にリソースを割きたくないから、転職とか引っ越しとかそういう類の変化を考えたくなくて、現状を維持していたいという心理。まあ、職人見習いもルームシェアも、結局のところ心惹かれなくて、過去の自分/友人の期待に応えられないことに削れているだけな気もしてきた。なんだかんだ今の生活が気に入っているし。あれ、元気出てきた! 作りたいものいっぱい作るぞ。履歴書は多分送らない。後悔するだろうか、まあ、寝て起きてまだ考える余地があったら、考えよう。