幸福

昨日久々に会う人とご飯に行って、そこそこお酒を飲んだので今日の虚無が確定して、実際何もできていない。やりたいこといっぱいあって時間もないが、それはそれとして何もしたくない。こういうときは無理して活動しても作業効率が悪く、なんなら何もしないほうがマシ(下手なものを直すほうが一から作るより面倒)なので、冬用のパジャマと布団にくるまって、ロマンチックなファンタジーをぬくぬくと読んでいる。小学生向けの本なんだけど、翻訳された児童書特有の文体が酒疲れに沁みわたる。

昨日寝る前唐突に、あ、クリスマスだ! と嬉しくなった。寒くて、雨が降っていて、静かで、眠くて満ち足りた気持ちでベッドに入るのに、どこか冴えていてスッと寝つけない感じが非常にクリスマスイブだった。実際の12/24にそれを感じられるかは年による。人と過ごすより、人と別れたあとの寂しさを引きずりながら一人になったことに安堵する寒い夜のほうがクリスマスみがある。このように冬の好きな部分をクリスマスに変換して愛しているから、毎日クリスマスみたいな週もある。このまま冬に突入してくれないかな〜と天気予報アプリを開いたが全然そんなことにはならなさそうだった。ところで昨日人と話して改めて気づいたが、私はかなりの期間、天気予報以外の世間の情報に触れていないせいで、知っていたことも忘れはじめている。どれくらい忘れているかというと、「ウクライナが〇〇だから...」と話されたときに、(なんでこの人いきなりそんなマイナーな国名を枕詞に笑)とひそかにウケてしまったくらいだ。しばらく話を聞いて思い出した。コロナについてもそうで、それを前提として話しはじめられたとき、咄嗟に理解できないことがある。しかし私がニュースを見ないのは一種の信条であり、ニュースを見るときは精神生活が崩れているとき(見ることによって崩れるのでなく、崩れているから見る)なのだ。このまま何もかも忘れるところまで行ってしまいたい。