二人が死ぬまでには

両親と会った。びっくりするくらい疲れなかった。私が過度に気を遣い続ける関係から、お互いが適度に気を遣える関係になったというか。母親にとっての私がいい意味で「よその人」になって、軽率に傷つけていい存在じゃなくなったのかもしれない。

これまでは傷ついても傷ついていないふりをして、私は何を言っても大丈夫な存在ですよと、両親にも自分にも示し続けることで削れていた。空気を悪くしないために、応急処置的に自分を守るためにそうするしかなかった。傷ついていないふりをする必要がなかった今日、そうだったんだと気づいた。「これで少しは頭良くなるんじゃない!?」と電動肩たたき機で脳天を連打され「あははははそうかもね!?」と笑いのゲシュタルト崩壊を感じながら笑い続けていた高校時代を思うと、よくここまでこれたなあとしみじみする。もちろん突然大丈夫になったわけではなく、段々と良くはなっていて、もう安心してもいいのかも、と思えたのが今日だったんだろう。

母親は何かの話の流れで、「未だに日常の些細なことで、(幼少期の)あんたがすぐ泣いてたこと思い出してすごいイラッとするんだよね」と話していた。「そんな理不尽な」と答えながら、ああ囚われているのは私だけじゃなかったんだ、と思った。時間と距離をおいて、お互いにお互いへの呪縛を解いて、少しずつでも楽になっていけたらいい。